世界大百科事典(旧版)内のPoullaindelaBarre,F.の言及
【プーラン・ド・ラ・バール】より
…フェミニズム(女性解放)の理論家。パリで神学を学ぶうちにデカルト哲学を知り傾倒,カトリック教義をすてジュネーブに移って語学教師となる。《両性の平等に関する身体および精神論》(1673),《男性優位論》(1675),《婦人教育論》(1679)を匿名で出版し,デカルトの方法的懐疑を社会学,特にフェミニズムに適用し,男性の知的・身体的優越という偏見を打ち破る論を,男性としてはじめて徹底的に展開した。第2作では帰謬法(間接証明)を用い,女性の身体的・市民的隷属は偶然と暴力と習慣の結果にすぎないとし,さらに権力と民衆の社会契約の必要性の思想にまで至っている。…
※「PoullaindelaBarre,F.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」