PragmatischeSanktion(その他表記)PragmatischeSanktion

世界大百科事典(旧版)内のPragmatischeSanktionの言及

【ハプスブルク家】より

…兄皇帝ヨーゼフ1世(神聖ローマ皇帝,在位1705‐11)の死によってカール6世が皇帝(在位1711‐40)になると,ハプスブルク世界帝国の再現を恐れた西欧列強は1713年ユトレヒト条約を結び,スペイン王位はハプスブルク家を離れ,ブルボン家に移った。
[啓蒙君主たち]
 しかしオーストリア家はネーデルラントとイタリアの旧スペイン領を併せ,カール6世は同じ年の1713年国事詔書(プラグマティッシェ・ザンクツィオンPragmatische Sanktion)を制定し,広大な世襲領の永久不分割と長子相続を図ったが,継承者に男子を欠き,長女マリア・テレジアの一括相続のために譲歩を重ね,国際的承認を得ていた。しかしプロイセンのフリードリヒ2世大王がシュレジエンを占領,バイエルン選帝侯カール・アルブレヒトが相続権を主張すると,マリア・テレジアは40年オーストリア継承戦争に直面する。…

【マリア・テレジア】より

…ロートリンゲン公フランツ・シュテファンと恋愛結婚する。父の死後プラグマティッシェ・ザンクツィオンPragmatische Sanktionにより1740年に全ハプスブルク世襲領を一括相続するが,プロイセンのフリードリヒ2世のシュレジエン占領とバイエルン選帝侯カール・アルバートの相続要求によりオーストリア継承戦争に直面し,ハンガリー貴族の特権を認めて援助を受け,イギリス,オランダの支援をも得て,45年ドレスデンに和約を結ぶ。この戦争によってシュレジエンを失ったが,全世襲領とともに夫フランツ1世Franz I(在位1745‐65)に皇帝位を確保した。…

※「PragmatischeSanktion」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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