世界大百科事典(旧版)内のpripisnyekrest'yaneの言及
【ロシア帝国】より
…都市小売商などはメシチャニーンと呼ばれてこれと区別されたが,御者,下男,下女など都市の下層の多くは出稼農民であった。 ロシアの工場制工業も農民労働に大きく依存し,18世紀には工場に買われた〈占有農民possessionnye krest’yane〉,工場に編入された〈編入農民pripisnye krest’yane〉,さらに地主工場の農奴労働が特色をなし,ピョートル1世の開発したウラルの冶金業でも前者が大量に使用された。19世紀前半には新たな綿工業を中心に,大半が国有地・私有地の出稼農民からなる〈自由雇用労働者vol’nonayomnye rabochie〉が工場労働力の主力(1804年に47%,60年に87%)をなし,世紀後半にも工業・建設の労働者の大半は出稼農民であった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」