世界大百科事典(旧版)内のProkopHolyの言及
【ウースチー・ナド・ラベム】より
…プシェミスル・オタカル2世(在位1253‐78)の時代に都市に昇格。1426年,プロコプProkop Holy(?‐1434)率いるフス派軍がマイセン辺境伯軍と衝突し,勝利した古戦場としても知られる。17世紀にドイツ化が急激に進み,19世紀半ばから工業が発展,今日では化学・機械・繊維・食品・ガラス工業が盛んである。…
【フス派戦争】より
… フス派軍は1422年にはクトナー・ホラKutná Horaの戦で勝利し,24年のマレショフMalešovの戦ののち,タボル派が政治的・軍治的主導権を握った。24年ジシュカがチフスで死ぬと,プロコプProkop Holy(?‐1434)が首領に選ばれ,26年にはウースチー・ナド・ラベム,31年にはドマジュリツェと,次々に繰り出されてくる十字軍をことごとく打ち破った。1427年以降は,フス派軍はボヘミアに隣接するドイツ,ポーランド,スロバキアなどに外征し,数多くの教会,領主の城館を破壊した。…
※「ProkopHoly」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」