世界大百科事典(旧版)内のProtectionistPartyの言及
【保守党】より
… 発生の直接起源は,選挙法改正要求に代表されるような改革運動の急進化のみならず,これに反発して過剰な現状維持に走る頑迷派トーリーにも対抗するため,E.バークの保守的政治哲学やフランスから輸入された〈保守の党parti conservateur〉の概念をよりどころに,R.ピールが中心となりトーリー党が保守党に再編された1834年にさかのぼる(もっともそれ以降もトーリーという呼称は保守党と同義で頻繁に用いられる)。46年の穀物法撤廃を契機に,ピールら党中枢議員と一般議員・農村支持層との対立が激化し,非ピール派の党本体は一時〈保護主義党Protectionist Party〉を名のって翌年の総選挙以降分裂が表面化する(非ピール派に近代保守党の起源を求める有力な見解もある)。その後党名を元に戻し,穀物法撤廃を追認したにもかかわらず,約20年間,同党は農村地主的で〈まのぬけた党stupid party〉とみなされがちで,パーマストン下の自由党が強力な統治政党としての地位を長く享受したこともあって,短期かつ非力な2度の例外(1852,58‐59)を除き,万年野党的低迷を続けた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」