世界大百科事典(旧版)内のQāsimKhānの言及
【カザフ族】より
…彼らはウズベク・カザクÖzbeg‐Qazaq,あるいは単にカザクQazaq(放浪者,冒険者の意)と呼ばれ,ウズベクから離れた者をも吸収して,キプチャク草原(カザフスタン)に勢力を拡大していった。16世紀前半のカーシム・ハーンQāsim Khān(在位1511‐23)のときには,人口30万とも100万ともいわれる大勢力にふくれあがり,やがて,西はウラル山脈,カスピ海北西岸から,東はバルハシ湖までの広い領域を版図とするにいたった。彼らは遊牧生活を営み,ハーンを頂点とする王侯が支配階級を構成した。…
【アストラハン・ハーン国】より
…キプチャク・ハーン国の継承国家の一つで,1466年カーシム・ハーンQāsim Khānがボルガ下流域に建国した(‐1556)。トルコ語ではAstırhan Han。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」