世界大百科事典(旧版)内のqaṭī‘aの言及
【イスラム】より
… ところで,征服地の土地と農民は,アラブ戦士には分配されないのが最初の原則であった。しかしウマイヤ朝(661‐750)の初めごろからカリフは一族や寵臣に対して私有地であるカティーアqaṭī‘aを授与するようになり,また荒蕪地の開墾や土地の囲込みによって,より大規模な私領地(ダイアḍay‘a)も次々と成立した。こうして8世紀から9世紀へかけて,カティーアやダイアを基礎に,軍人や官僚あるいは商人による大土地所有が著しく発達した。…
【地主】より
…【重松 伸司】
【中東】
イスラム法においては,土地はすべて信徒共同体(ウンマ)のものとされ,農民はムスリム,非ムスリムの別なくハラージュ(地租)を国家に納めることを原則とし,耕地の私有は認められていなかった。しかし現実には,カリフやスルタンから授与される分与地(カティーアqaṭī‘a)や荒蕪地などの開発によって得られる私領地(ダイアḍay‘a)には,所有権(ミルク)が認められ,これらの土地では奴隷や小作人などを用いた経営が行われていた。この私有地所有の伝統を基礎にして18~19世紀以降,アラブ,イラン,トルコの各地域において,広く大土地所有と小作人を用いた経営とが見られるようになる。…
※「qaṭī‘a」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」