世界大百科事典(旧版)内のRührstückの言及
【市民劇】より
…しかし有名なスデーヌMichel‐Jean Sedaine(1719‐79)の作品なども含めて,フランスの市民劇では悲劇的な破局はつねに避けられており,妥協的な幸福の結末をもたない本当の市民悲劇は,ドイツで完成した。 ドイツではまずフランスの催涙喜劇の影響で,感傷劇Rührstückとよばれるジャンルが非常に流行した。イギリスでも18世紀には風習喜劇が衰えて,道徳的な感傷喜劇sentimental comedyなるものが主流になっていたが,ディドロとこのイギリス市民劇の影響を受けたG.E.レッシングは1755年に最初の市民悲劇《ミス・サラ・サンプソン》を,続いて《エミリア・ガロッティ》を発表した。…
※「Rührstück」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」