世界大百科事典(旧版)内のReinmarvonHagenauの言及
【ドイツ文学】より
…
[抒情詩のモティーフ]
抒情詩ではトルバドゥールの様式を受け継いだミンネザングが成立し,貴婦人への愛の奉仕を最高の理念とする歌が多く作られた。ラインマルReinmar von Hagenauを頂点とする盛時のミンネザングは,この愛を神への愛にまで結びつけようとしたが,一方ワルター・フォン・デル・フォーゲルワイデは身分の低い娘を登場させて世俗の愛をうたい,あるいは政治的発言を織り込んだ格言詩をつくり,ナイトハルト(ロイエンタールの)などにいたると,騎士と農民の間の力関係の混乱がパロディの形をとって農村を舞台にした詩に反映されることになる。他方宮廷詩とは別に,《カルミナ・ブラーナ》のように,遍歴学生や農民によって歌われていた巷間の歌がたくましく育っていた。…
【ミンネザング】より
…一方,ミンネザング興隆の原動力は,エロスの歌を楽しむ人間集団の現世肯定的欲求にあり,そのような人々のために歌うミンネゼンガーの詩作態度も,倫理的たてまえと官能的本音の間を微妙に揺れ動いて,両者の種々の組合せの中から生まれるニュアンスの多様性を楽しむ独特の文学形式となった。初期のドナウ地方の詩人キュルンベルガーder Kürnberger,ディートマル・フォン・アイストDietmar von Aist,ライン地方の先駆者フリードリヒ・フォン・ハウゼンFriedrich von Hausen(1150ころ‐90),最盛期の代表的詩人ハインリヒ・フォン・モールンゲンHeinrich von Morungen,ラインマル・フォン・ハーゲナウReinmar von Hagenau,ワルター・フォン・デル・フォーゲルワイデ,崩壊期のナイトハルトら,愛という唯一のテーマを歌いながら,表現技術の面ではそれぞれに独自性をもつ。しかし,このジャンルの生産的な時期は1220年ころで終わり,その後は急速に亜流化していく。…
【ワルター】より
…その意味でも代表的なドイツ詩人である。バーベンベルク家のウィーンの宮廷で作詩と作曲の技を学び,ラインマルReinmar von Hagenauを先輩にナイトハルトを後輩にもった彼は,伝統的ミンネザングの完成者になると同時に,その崩壊をも誘発する。ラインマルの歌う宮廷風恋愛(いわゆる〈高きミンネ〉)を一連のパロディによって批判し,身分社会の制約にとらわれない〈心からの愛〉を称揚して,中世ラテン抒情詩の影響を受けた牧歌風の舞踏歌,いわゆる〈低きミンネ〉の歌を作ったが,やがてそれはナイトハルトに受け継がれ,ワルターの意図せぬ方向に展開していく。…
※「ReinmarvonHagenau」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」