世界大百科事典(旧版)内のRoebling,W.A.の言及
【ブルックリン橋】より
…19世紀後半,商業都市として発展し過密化していたマンハッタン島と,隣接して成長を続けていたブルックリンを結ぶ交通手段はイースト川のフェリー・ボートだけであった。ベルリン大学でヘーゲルに接して傾倒したのち,ドイツから移民して,ワイヤケーブル製造の企業化に成功し,ナイアガラ川を横断するつり橋などの実績で名声を博していた土木技術者レーブリングJohn Augustus Roebling(1806‐69)は,イースト川をまたぐつり橋の計画を提案,1867年に設立されたニューヨーク・ブリッジ・カンパニーによって建設された。技師長となって設計・監督にあたったレーブリングは,測量中の事故で負傷して死亡,長男のワシントンWashington Augustus R.(1837‐1926)が後を継いだ。…
【レーブリング】より
…またつり橋型の水道橋や,ナイアガラの滝に臨む最初の鉄道用つり橋など,多くのつり橋を建設したが,とくに彼の設計したブルックリン橋(つり橋,主径間長486m)は有名である。彼は67年に同橋建設事業の主任技師に任命され,69年に工事が開始されたが,工事中の負傷が原因で急逝,このため同事業は息子のワシントンWashington Augustus Roebling(1837‐1926)に引きつがれた。ワシントンは1867年にイギリスに渡り,高圧ケーソンを用いた基礎工法の研究をしており,父の死後,ブルックリン橋建設事業の主任技師となり,みずからケーソン病に冒されながらも自宅から望遠鏡で工事の監督を続け,83年に14年間に及ぶ架設工事を完成させた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」