世界大百科事典(旧版)内のRore,C.deの言及
【ベネチア楽派】より
…ウィラールトの没後,楽長の地位は,ウィラールトの2人の弟子が続いて継承した。宗教的声楽曲やマドリガーレにおける詞の情感の表出に意を用いて半音階的手法や大胆な不協和音の使用を推し進めたフランドル出身のチプリアノ・デ・ローレCipriano de Rore(1515ころ‐65)と,宗教的声楽曲やマドリガーレを作曲し,とくに体系的な理論書《音楽論Le istitutioni harmoniche》(1558)で知られるツァルリーノである。また1613年にはルネサンス様式からバロック様式への転換に大きな役割りを果たしつつ聖俗の多くの分野で不朽の金字塔を打ち建て,初期のベネチア・オペラにも重要な貢献をしたモンテベルディが楽長になった。…
【ルネサンス音楽】より
…中心となるのはパレストリーナによって代表されるローマ楽派で,厳格なルネサンス風対位法の確立とともに,無伴奏によるア・カペラ演奏様式を普及させた。一方,北イタリアではウィラールトAdrian Willaert(1490ころ‐1562),チプリアノ・デ・ローレCipriano de Rore(1516ころ‐65),ガブリエリ(アンドレアおよびジョバンニ)らのベネチア楽派が大編成の合唱隊による立体的な演奏様式や,金管を中心とする華やかな器楽合奏様式を発展させ,バロックへの道を開いていった。マドリガーレはマレンツィオ,ジェズアルド,モンテベルディらの手によって最盛期を迎える一方,ビラネッラ,カンツォネッタ,バレットなどのより軽快な世俗歌曲も人気を集めた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」