世界大百科事典(旧版)内のRumRebellionの言及
【マックオーリー】より
…イギリス領ニュー・サウス・ウェールズ植民地(現,オーストラリア)第5代総督(1810‐21)。〈戦艦バウンティ号の反乱〉で有名なブライ総督が1808年に襲われた〈ラム酒反乱Rum Rebellion〉(当時蒸留酒はすべてラムと呼ばれ,このラムは通貨の役割すら果たしていたが,植民地政府がラムの密貿易を厳しく取り締まろうとしたことに対する反乱)の後始末にあたった。一貫して元流刑囚(エマンシピスト)を優遇,植民地行政の各方面に彼らを登用したため,エマンシピストとエクスクルージョニストの対立の端緒を作った。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」