世界大百科事典(旧版)内の《Russkayapravda》の言及
【デカブリスト】より
…このような意見の相違と,自分たちの結社の存在を当局のスパイが察知しているという情報が入ったところから,21年,〈福祉同盟〉は解散し,第2軍管区のある南ロシアのトゥリチンに本拠をおく〈南方結社Yuzhnoe obshchestvo〉と首都のペテルブルグに本拠をおく〈北方結社Severnoe obshchestvo〉とに分かれた。前者はペステリ大佐の指導下に将来のロシア共和国の憲法ともいうべき《ルスカヤ・プラウダRusskaya pravda》を自分たちの結社の綱領として採択した。後にこの結社にスラブ諸民族の連邦をめざす〈統一スラブ結社Obshchestvo soedinyonnykh slavyan〉が合流する。…
【ルスカヤ・プラウダ】より
…ロシアの法典の名称で,二つのものが知られる。(1)11~12世紀ロシアで制定された法令の集成《ルスカヤ・プラウダ》は,ロシア最古のもので,これには古い〈簡素編集〉(42ヵ条)と,これを修正し新しい多くの条項を追加した〈拡大編集〉(121ヵ条)とがある。〈簡素編集〉はさらに,ヤロスラフ賢公の時代(11世紀前半)に制定された〈ヤロスラフの法〉(〈最古のプラウダ〉)とその子らの時代(11世紀後半)の〈ヤロスラフの子らの法〉とに分けられる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」