世界大百科事典(旧版)内のsūbaの言及
【ムガル帝国】より
…その時アクバルのもとで活躍した人物はシャイフ・ムバーラクShaikh Mubārakとその2人の息子で,とくに年少の息子アブール・ファズルは歴史書《アクバル・ナーマ》《アクバル会典》の叙述・編纂をしたことで有名である。帝国の支配は全土を12(後に15)の州(スーバsūba)に分けて行われたが,中央からの直轄支配領域はおもに北インドであった。帝国領の各地には北インドも含め有力なヒンドゥー・ラージャ(王)がおり,彼らに対しては間接支配を行うのみであり,とくにラージャスターンではムガル支配層はラージャたちと同盟関係を結び,彼らの領域内の統治に介入しないことが普通であった。…
※「sūba」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」