世界大百科事典(旧版)内のSachsen-Lauenburgの言及
【ザクセン・ウィッテンベルク】より
…ベルンハルトの子のアルブレヒト1世Albrecht I(在位1212‐60)は,息子のヨハンJohannとアルブレヒト2世にザクセン公国を分割し(1260),前者にエルベ川下流域の領土を,後者にエルベ川中流域の領土を与えた。それぞれはその首都名に従ってザクセン・ラウエンブルクSachsen‐Lauenburgとザクセン・ウィッテンベルクと名付けられた。両公爵家は選帝侯の権利を主張して相争ったが,1356年皇帝カール4世の金印勅書によりウィッテンベルク系統が選帝侯位を獲得した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」