世界大百科事典(旧版)内のSanjarの言及
【セルジューク朝】より
…歴代のスルタンはアナトリアへ進出する積極的な意図はなく,新たにマー・ワラー・アンナフル方面より流入したトルクメンや反乱に失敗した王族らが,西方へ移動してルーム・セルジューク朝を建国し,アナトリアのトルコ化への先鞭をつけた。サンジャルSanjar(在位1117‐57)の時代に一時王朝の再統一がなされたものの,ジャジーラ,シリア,アゼルバイジャンではアター・ベクたちが独立し,カラ・キタイの侵入,遊牧トルコ族であるオグズの反乱により東部州が混乱し,サンジャル自身もオグズの捕虜となって,スルタンの権威は地に落ちた。彼の死後,イラクとケルマーンにセルジューク朝の地方政権が残ったが,前者はホラズム・シャー朝に,後者はオグズによって滅ぼされた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」