世界大百科事典(旧版)内のSelig,W.N.の言及
【ハリウッド】より
…しかし,1年365日のうち300日は晴れているといわれる常夏の太陽の地であり,雪をいただく山脈から荒涼とした砂漠にいたるまで,さまざまな地形などの自然条件に恵まれた南カリフォルニアのロサンゼルス近郊が映画製作の中心地になることは時間の問題だった。それを最初に発見したのは,トマス・エジソンのライバルであったシカゴの映画製作者ウィリアム・N.シーリグWilliam N.Selig(1864‐1948)で,《モンテ・クリスト伯》(1908)の屋内場面をシカゴで撮影したのちロケーションのためカリフォルニアへでかけ,つづいて《サルタンの力のなかで》(1908)をすべて西部で撮影したのが,そもそものハリウッドの発見であった。 映画の都ハリウッドの成立と建設については,映画史家の間にもいろいろな説があるが,1909年にエジソン,バイオグラフ,バイタグラフ,カレムなど9社がカメラ,映写機,フィルムなどについて16の特許を保持するモーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニーと称するトラストを結成したため,トラストの監視からのがれようとした独立製作者たちがニューヨークから遠く離れたカリフォルニアで製作を始め,ネスター社が11年にハリウッド最初の撮影所をつくったのにつづいてトラスト加盟各社も相次いでハリウッドに撮影所をつくり,こうしてアメリカの映画製作はわずか数年のうちにロサンゼルスとその近郊に集中し,反トラスト派の中心人物カール・レムリのユニバーサル社が,サン・フェルナンド・バレーにユニバーサル・シティと呼ばれる映画都市を建設した15年ころに,ほぼハリウッド建設は完了したというのがもっとも一般的な説である。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」