世界大百科事典(旧版)内のSozialdemokratischeArbeiterparteiの言及
【ドイツ社会民主党】より
…しかしここでも労働者の自立の傾向が強まり,68年には,VDAVもADAVと同様,国際労働者協会(第一インターナショナル)の立場に支持を表明するに至った。 69年8月,VDAVのベーベル,W.リープクネヒトら労働者派は,ラサールの後継者J.B.vonシュワイツァーと対立してADAVの分派を形成していたブラッケWilhelm Bracke(1842‐80)らとともに,アイゼナハで集会を開き,アイゼナハ綱領を採択し社会民主労働者党Sozialdemokratische Arbeiterpartei(SDAP)を創立した。新党(アイゼナハ派)と,ラサールの影響のいっそう強いADAV(ラサール派)とは競合を続けたが,普仏戦争の後半,プロイセンの征服政策にはともに反対の声をあげた。…
※「SozialdemokratischeArbeiterpartei」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」