世界大百科事典(旧版)内のSozialistischeArbeiterparteiDeutschlandsの言及
【ドイツ社会民主党】より
…新党(アイゼナハ派)と,ラサールの影響のいっそう強いADAV(ラサール派)とは競合を続けたが,普仏戦争の後半,プロイセンの征服政策にはともに反対の声をあげた。71年,ドイツ帝国が創立されてしまうと,ドイツ統一問題が両派の現実的争点ではなくなったうえ,等しく当局の抑圧を受けたために,徐々に両派の間に歩み寄りが見られ,75年5月,ゴータで合同大会が開かれてドイツ社会主義労働者党Sozialistische Arbeiterpartei Deutschlandsが発足するに至った。これは,ドイツに労働者を構成要素とした単一社会主義政党が誕生したことを意味する。…
※「SozialistischeArbeiterparteiDeutschlands」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」