世界大百科事典(旧版)内のSpeke,J.H.の言及
【アフリカ探検】より
…またD.リビングストンはナイル川とコンゴ川の水系調査に先駆的役割を果たした。ナイルの水源ビクトリア湖は62年スピークJohn Hanning Spekeによって発見され,コンゴ川の水系は76‐77年のH.スタンリーの全コース下航によって明らかとなった。探検家はいずれも探検地の人間と社会について報告することを忘れず,それがヨーロッパ人のアフリカ人認識の基礎となった。…
【ウガンダ】より
…18世紀にはインド洋沿岸との通商路が開かれ,アラブ商人が到来した。 19世紀中ごろ,ヨーロッパでナイル川の源をつきとめるための探検熱が高まり,イギリス人のスピークJ.H.SpekeとグラントJ.A.Grantの2人が1862年に白人として初めてブガンダ王国に入った。ついで訪れたスタンリーの新聞記事によるキリスト教伝道のよびかけに応じ,70年代末に宣教師が相ついでブガンダに到着,布教活動を始めたため,80年代末のムワンガ王の時代にイスラム教徒とキリスト教徒の間に宗教戦争が起こって後者が優位に立った。…
【ナイル[川]】より
…隊の達した最南地点はゴンドコロで,ビクトリア湖の下流約500kmの地点であった。ナイル川をさかのぼるのではなしに,東アフリカ海岸から内陸に入るというコースを取ったのはイギリスの探検家R.F.バートンとスピークJohn Speke(1827‐64)である。彼らは58年2月タンガニーカ湖を発見した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」