世界大百科事典(旧版)内のSpurzheim,J.C.の言及
【ガル】より
…ドイツ,オランダ各地で講演をつづけ,ゲーテも05年7月ハレで連続講演を聞き興味を示している。07年パリに移り,解剖学者シュプルツハイムJohann Christian Spurzheim(1776‐1832)と連名で主著《神経系,とくに脳の解剖学と生理学》(1810‐19)を刊行した。シュプルツハイムは頭蓋の骨相によって人の善悪・賢愚を判定できる〈骨相学Phrenologie〉と銘打って宣伝,一般大衆の注目を浴び,欧米各地に協会が設立された。…
【骨相学】より
…この学説は,脳の異なる部位が異なる機能を持つことを主張した限りで,19世紀後半の実証的な脳局在論に先駆するものとみなされるが,〈良心〉や〈愛〉や〈精神〉まで頭蓋の凹凸から判断するというガル一流の主張は,キリスト教に反するとして当時のオーストリア政府から禁圧され,このため彼はウィーンを去ってパリに移り,開業と研究を続けた(図)。 彼の説を修正して欧米に広めたのは弟子シュプルツハイムJ.C.Spurzheim(1776‐1832)で,師とともに《神経系一般,とりわけ脳の解剖学と生理学》全4巻(1810‐19)を刊行したが,これを1815年に〈phrenology〉と名づけてイギリスに紹介したのはフォースターT.I.M.Forsterで,シュプルツハイムも以後この名称を使ったという。骨相学はその通俗的おもしろさから一般人の間でも人気を博したが,いかがわしい利用法がたたって名誉を失墜し,しだいに忘れられていった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」