世界大百科事典(旧版)内のTarquiniusPriscusの言及
【暦】より
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【古代ローマの暦】
擬似太陽暦ともいうべきローマの暦は,農耕の便宜に合わせた10ヵ月の月(表4)からなり,農作業のない冬季の2ヵ月は暦に入れなかった。王政時代の5代目の王タルクイニウス・プリスクスTarquinius Priscusがエトルリアから12ヵ月の暦を導入しようとしたが,実施にいたらなかった。したがって共和政になってからも年の始めは3月1日で,コンスルをはじめとする行政官(任期1年)もこの日に就任した。…
【シビュラ】より
…前1世紀のローマの学者ウァロによれば,ペルシア,リビア,小アジア,ギリシア,イタリアに全部で10人いたとされ,その中では,ナポリに近いクマエ(イタリアにおける最古のギリシア植民市)のシビュラが最も有名。彼女はローマ建国の祖アエネアスを冥府に案内したほか,ローマ第5代の王タルクイニウス・プリスクスTarquinius Priscusに六脚律詩で記された予言書を非常な高値で売りつけた。このとき王は,最初,金を惜しんで断ったが,彼女は9巻のうちの3巻を火にくべ,残る6巻にも同額を請求,王がふたたび断ると,彼女はさらに3巻を焼いたため,結局,王は残った3巻をもとの言い値で買い取ったという。…
【タルクイニウス家】より
…古代ローマの王家。タルクイニウス・プリスクスTarquinius Priscus(在位,前616?‐前579?)とタルクイニウス・スペルブスTarquinius Superbus(在位,前534?‐前510?)がそれぞれ第5,第7代の王位に就いており,また第6代目の王セルウィウス・トゥリウスは当王家の一員として養育されたと伝えられる。2人のタルクイニウス王はエトルリア人で,セルウィウスをも含めて3代にわたるエトルリア系王政時代にローマは都市を建設し,国制を整え,ラティウム随一の強力な都市国家として発展した。…
※「TarquiniusPriscus」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」