世界大百科事典(旧版)内のTheodulfの言及
【オルレアン】より
…フランス中部,ロアレ県の県都。人口10万8000(1990)。ロアール川に臨み,パリの南方約115kmに位置する鉄道・道路交通の要衝。大学や裁判所があり,地方の行政,学術・教育や商業の中心地で,近くには5万haに及ぶオルレアンの森がある。古くから後背地の農産物の集散地,ロアール川水運の積替地として栄え,17,18世紀には商工業が発達した。19世紀中葉以降,鉄道時代にはいると水運の衰退にともない,経済的に停滞したが,第2次大戦後になってパリ地域からの工業分散などにより,在来の食品工業(酢醸造など)に加えて,タイヤ,薬品,機械などの諸工業が同市やその周辺に発展し,第3次産業の発展とあいまって,都市圏の人口増加が著しい。…
【カロリング朝美術】より
…カロリング朝が支配したフランク王国で,8世紀後半から9世紀末にかけて栄えた美術。カロリング・ルネサンスとよばれる古代文化復興運動は特に,カール大帝が戴冠した800年ころより急激に美術の分野にも及んだ。伝統的にゲルマン人は抽象的な芸術感覚をもち,装飾にはおもに幾何学文を用いていた。当時イタリア北部を含むヨーロッパ大陸北部には,抽象文が主であるが人像表現ももつアイルランド系美術の影響が既に浸透して,先立つメロビング朝絵画には抽象文のほか若干の人物像も登場する。…
【キリスト教文学】より
…この時代にイギリスは,古代英語で宗教詩を制作した2人の詩人,キャドモンCaedmon(7世紀末)とキネウルフ(8世紀末)をもったことも注目に値する。 カールの朝廷に集まった多くの文人中,詩人として名高いのは復活祭前主日の賛歌《栄えと称賛,誉れとを享(う)けたまえ,あがない主キリストよ》などの作者オルレアンのテオドゥルフTheodulf(750ころ‐821ころ)やアンギルベルトAngilbert(745ころ‐814)らであるが,《ランゴバルド史》の作者パウルス・ディアコヌスPaulus Diaconus(720ころ‐797ころ)にも《大教皇グレゴリウス伝》や,8音階の源となった《バプテスマのヨハネへの賛歌》などの詩がある。アルクインの流れは多くのすぐれた宗教詩人を生み,中でもフルダ修道院によったラバヌス・マウルスやゴットシャルク,ワラフリド・ストラボWalahfrid Strabo(808か809‐849)は,それぞれ敬虔な,あるいは哀切な,また優雅な賛歌の作者として知られる。…
【ジェルミニー・デ・プレ】より
…フランス中部,ロアレ県の小村。人口約400人。オルレアン司教であり,サン・ブノア・シュル・ロアール修道院長であった,カール大帝の宮廷顧問テオドゥルフThéodulfの別荘に付属した私設礼拝堂(800ころ)が残る。集中式プランで,モザイクによる装飾を施すなど,ビザンティン美術の影響が濃い。15世紀西側に身廊が設けられた。今日の教会は,主祭室とそのモザイクを除き,19世紀の修復時の再建になる。そのモザイクは現存する唯一のカール大帝時代のもの。…
※「Theodulf」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」