世界大百科事典(旧版)内のTripurīの言及
【カラチュリ朝】より
…はじめグジャラートに興起し,6世紀後半に東のマールワー地方に進出したが,やがて南のチャールキヤ朝によって滅ぼされた。つぎに9世紀中ごろ,中央インドのトリプリーTripurīに都してジャバルプル地方を支配し,近隣諸国と抗争しながら約250年間支配し,寺院建築など独自の文化をきずいた。これとほぼ同時期,北のゴーラクプル地方でもサラユパーラSarayupāraを都とする小王朝カラチュリが栄えた。…
※「Tripurī」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」