カラチュリ朝(読み)カラチュリちょう(その他表記)Kalachuri

改訂新版 世界大百科事典 「カラチュリ朝」の意味・わかりやすい解説

カラチュリ朝 (カラチュリちょう)
Kalachuri

インド王朝。6世紀から12世紀まで北インドに存在し,マヌの子孫ヤーダバ一族であるハイハヤ族に属すると自称したが,外来民族の出身とする説がある。はじめグジャラートに興起し,6世紀後半に東のマールワー地方に進出したが,やがて南のチャールキヤ朝によって滅ぼされた。つぎに9世紀中ごろ,中央インドのトリプリーTripurīに都してジャバルプル地方を支配し,近隣諸国と抗争しながら約250年間支配し,寺院建築など独自の文化をきずいた。これとほぼ同時期,北のゴーラクプル地方でもサラユパーラSarayupāraを都とする小王朝カラチュリが栄えた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

〘 名詞 〙 春の季節がもうすぐそこまで来ていること。《 季語・冬 》 〔俳諧・俳諧四季部類(1780)〕[初出の実例]「盆栽の橙黄なり春隣〈守水老〉」(出典:春夏秋冬‐冬(1903)〈河東碧梧桐・高...

春隣の用語解説を読む