カラチュリ朝(読み)カラチュリちょう(その他表記)Kalachuri

改訂新版 世界大百科事典 「カラチュリ朝」の意味・わかりやすい解説

カラチュリ朝 (カラチュリちょう)
Kalachuri

インド王朝。6世紀から12世紀まで北インドに存在し,マヌの子孫ヤーダバ一族であるハイハヤ族に属すると自称したが,外来民族の出身とする説がある。はじめグジャラートに興起し,6世紀後半に東のマールワー地方に進出したが,やがて南のチャールキヤ朝によって滅ぼされた。つぎに9世紀中ごろ,中央インドのトリプリーTripurīに都してジャバルプル地方を支配し,近隣諸国と抗争しながら約250年間支配し,寺院建築など独自の文化をきずいた。これとほぼ同時期,北のゴーラクプル地方でもサラユパーラSarayupāraを都とする小王朝カラチュリが栄えた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む