世界大百科事典(旧版)内のUgyenWangchukの言及
【ブータン】より
…同年のシンチュラ条約により同地方は英領インドに編入され,ブータン領土は山岳地方に押し込められることとなった。 1907年にはトンサの領主ウゲン・ウォンチュックUgyen Wangchukが法王を兼ねる一元的な支配者となって現王朝を創始し,ドゥルック・ギャルポ(国王)と称した。これにより俗権的権力の優位性が確立するとともに,それまでの群雄割拠体制に終止符を打った。…
※「UgyenWangchuk」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」