世界大百科事典(旧版)内のUr-Nammuの言及
【ウル第3王朝】より
…のち彼の息子(あるいは弟)のウルナンムがウルで独立し,ウル第3王朝が成立した。王朝ではウルナンムUr‐Nammu(在位,前2112‐前2095),シュルギShulgi(前2094‐前2047),アマルシンAmar‐Sin(前2046‐前2038),シュシンShu‐Sin(前2037‐前2029),イビシンIbbi‐Sin(前2028‐前2004)の5王が即位。首都ウルをはじめ,ギルス(ラガシュ),ウンマ,ニップール,プズリシュ・ダガンなどから無数のウル第3王朝時代楔形文書が出土している。…
【シュメール美術】より
…このジッグラトは3段の基壇を積み上げ,階段を巧みに配置し,最上段に神殿をもうけた壮大なもので,新シュメール時代の建築のもっとも優れた例といえよう。また墳墓建築として,ウル第3王朝の創立者ウルナンムUr‐Nammuのものと思われる地下の墓室が発見されている。彫刻では少数の浮彫作品が現存しているのみである。…
※「Ur-Nammu」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」