世界大百科事典(旧版)内の《VelikieChet'i-Minei》の言及
【ロシア文学】より
…しかし極端な鎖国政策がとられ,ロシアは西欧からも他のスラブ諸国からも完全に孤立した。神政国家の理念の代弁者であったモスクワ府主教マカーリー(1483ころ‐1563)の《大聖者伝集成Velikie Chet’i‐Minei》(1552)はロシアの民衆の宗教心を養う糧となり,民衆の信仰を通して19世紀ロシア文学にも大きな影響を与えた。16世紀には,〈政治的社会評論〉の傑作であるイワン雷帝と彼に敵対するクールプスキーAndrei Mikhailovich Kurbskii公(1528‐83)との《往復書簡》(1564‐1579),家父長主義のみごとな表現である《家政訓Domostroi》(16世紀初頭)など特異な作品が多い。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」