VladislavII(その他表記)VladislavII

世界大百科事典(旧版)内のVladislavIIの言及

【ヤギエウォ朝】より

…ヤギエウォ家の中欧進出は,ハンガリー王位に迎えられたブワジスワフ3世Władysław III Warneńczykの代に始まったが,同王がオスマン・トルコとのバルナの戦で敗死して一時頓挫。その後カジミエシュ4世の長子ブワジスワフがボヘミア王位,次いでハンガリー王位にも迎えられて(ボヘミアではブラジスラフ2世Vladislav II,ハンガリーではウラースロー2世Ulászló IIと呼ばれる),ハプスブルク家と覇を争うまでになったが,その子ルドビクLudwik(ボヘミア王ルドビーク1世Ludvík I)がオスマン・トルコとのモハーチの戦で落命してボヘミア・ハンガリー王位を失う。ポーランドの王家も第7代ジグムント2世アウグストZygmunt II Augustで男系が絶えて断絶する。…

※「VladislavII」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

選挙公職を争うとき,政党や候補者が,当選後実現すべき政策について有権者に向けて表明する約束。当選者が選挙公約に拘束され,実現の努力を行うことは責任政治の重要な構成要素である。...

公約の用語解説を読む