世界大百科事典(旧版)内のVoronskii,A.K.の言及
【同伴者文学】より
…亡命から帰国後のA.N.トルストイやエレンブルグ,LEF(レフ)(芸術左翼戦線)や〈構成主義文学センター〉所属のマヤコーフスキー,パステルナークらもこの名で呼ばれた。中心的な組織者としては雑誌《クラスナヤ・ノーフィ(赤い処女地)》の編集長ボロンスキーAleksandr Konstantinovich Voronskii(1844‐1943。1927年トロツキストとして解任)があり,彼がRAPP(ラツプ)派の非難・攻撃から同伴者文学の芸術性を擁護した功績は大きい。…
【RAPP】より
…リベジンスキー,フールマノフ,キルションVladimir Mikhailovich Kirshon(1902‐38),後にファジェーエフ,エルミーロフVladimir Vladimirovich Ermilov(1904‐65)らが中心メンバー。最初は〈古典に学べ〉などの穏健路線が打ち出されたが,ボロンスキーAleksandr Konstantinovich Voronskii(1884‐1943)らの同伴者文学擁護派と激しい論争を繰り返すうち,政治主義的傾向が強まり,ゴーリキーやショーロホフをも含む非プロレタリア系作家に卑俗社会学的,世界観偏重の非難を浴びせ,その批評は〈RAPPの棍棒〉と恐れられた。〈生きた人間〉〈唯物弁証法的創作方法〉など,連発された創作スローガンも,実作と遊離して実りをもたらさなかった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」