世界大百科事典(旧版)内のWackenroder,W.H.の言及
【ティーク】より
…ベルリンに生まれ,若くして文筆活動に従事したが,合理主義・啓蒙主義の時代精神と自由な内面的・芸術的精神の相克に苦しむ。大学時代,同郷・同窓の友で夭折した初期ロマン派の詩人ワッケンローダーWilhelm Heinrich Wackenroder(1773‐98)と共にバンベルク,ニュルンベルクに遊び,中世的な雰囲気と中世キリスト教芸術に魅せられる。この体験とワッケンローダーの宗教的・神秘的な資質は,ティークのロマン主義への傾斜に決定的な影響を与えたが,未完の小説《フランツ・シュテルンバルトのさすらい》(1798)の中で示される芸術観はその結晶であるといえよう。…
【ナザレ派】より
…その異様な風体からナザレ派とあだ名される。彼らの精神的・理論的基盤として,ワッケンローダーWilhelm Heinrich Wackenroder(1773‐98)の《芸術を愛する修道僧の心情吐露》(1797)や,芸術の目的を宗教的象徴に置き,15~16世紀前半のイタリア,フランドル,ドイツのいわゆるプリミティブ絵画の模倣を勧めカトリシズムへの回帰を説くF.シュレーゲルの《パリ・オランダ絵画通信》(1803‐05)が挙げられる。彼らはペルジーノ,ラファエロ,デューラーらに範を仰ぎ,聖書や中世文芸に題材を求めた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」