世界大百科事典(旧版)内のWeinbrenner,F.の言及
【カールスルーエ】より
…城館を中心に家臣団住居,市民建築を順に配置して社会階層を象徴的に表現した。その後19世紀初めに建築家ワインブレンナーFriedrich Weinbrenner(1766‐1826)が新古典主義的な〈総合建設計画〉を作成,古代都市風の凱旋道路を付加し,市街地建築の形態規制と補助金制度によりモニュメンタルな都市形態を完成した。【杉本 俊多】。…
【ドイツ美術】より
…ウィンケルマンの《古代美術史》(1764)はこの風潮に思想的指針を与えた。 ドイツにおける古典主義の動向は,19世紀初頭のワインブレンナーFriedrich Weinbrenner(1766‐1826)のカールスルーエ都市設計に早くも具体化し,ベルリンのシンケルとミュンヘンのクレンツェがこれを受け継ぐ。前者の手になるベルリンのシャウシュピールハウス(旧王立劇場。…
※「Weinbrenner,F.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」