世界大百科事典(旧版)内のWhite,C.H.の言及
【バーク・ホワイト】より
…ニューヨーク市生れ。A.スティーグリッツらとともにフォト・セセッション運動を展開したホワイトClarence White(1871‐1925)の学校で写真を学び,卒業後すぐフリーランスで写真の仕事を始めた。1936年の《ライフ》創刊時の写真スタッフの一人であり,創刊号の表紙は彼女のフォートペックダムを撮った写真でかざられた。…
【フォト・セセッション】より
…彼は,当時建築や美術で展開された新しい芸術運動である〈ゼツェッシオン〉に刺激されて,写真芸術の独自の確立を目ざした自らの運動を〈フォト・セセッション〉と名づけた。他のメンバーは,バロックJohon G.Bullock,ダイアーWilliam B.Dyer,ユージンFrank Eugene(1865‐1936),フューギュDallet Fuguet,ケーゼビアGertrude Käsebier,キーリーJoseph T.Keiley,レッドフィールドRobert S.Redfield,ワトソン・シュッツEva Watson‐Schütze,E.スタイケン,スターリングEdmund Stirling,ストラウスJohn Francis Strauss,ホワイトClarence H.White(1871‐1925)らである。彼らは,絵画に追従して写真の芸術性を求める人たちに異議を唱え,写真はただ写真であることだけで十分に芸術でありうるということを主張した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」