世界大百科事典(旧版)内のWillibrordの言及
【エヒテルナハ】より
…古代ローマ時代より鉱泉で名高い。西フリースラントに伝道を行ったウィリブロードWillibrord(658ころ‐739)が,698年この地にベネディクト会修道院を創建。ウィリブロードによる疫病治癒を記念して,毎年,聖霊降臨祭の火曜日に,中世以来の舞踏行列が行われている。…
【キリスト教】より
…ゲルマン諸族への伝道はすでに3世紀に始まり,5世紀にはアングロ・サクソン族への伝道もなされ,7世紀に入るとベネディクト会がこれに加わって活発な異民族伝道を行ってきた。ウィリブロードWillibrord(739没)と,のちにボニファティウスBonifatiusと呼ばれたウィンフリードWynfrid(754没)の活躍が特に記憶される。これにより,西方教会はコンスタンティノープルの支配とイスラム教徒の圧迫を排して自立するとともに,古代の伝統を中世に媒介することができた。…
【司教】より
…ブザンソン司教ドナトゥス,ノアヨン司教ムンモリヌス,トリール司教のゲルマヌスとヌメリアヌス,バーゼル司教ラグナカリウスなどいずれもそうである。8世紀に入るとアイルランド人に代わってアングロ・サクソン人たち,すなわちウィリブロードWillibrord(658‐739)およびボニファティウスの一行がフリースラントとゲルマニアの伝道に従事するが,彼らの活動によってフランク教会の制度は司教職を含めて大いに整備された。特に747年ボニファティウスの司会した司教会議は,この司教会議の制度,首都司教の地位,司教の職務内容,首都管区会議と司教区会議との職務分掌などを明らかにし,またローマ教皇との制度的関係をも初めて性格づけた。…
※「Willibrord」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」