世界大百科事典(旧版)内のyeshivahの言及
【タルムード】より
… 5世紀初めに,ガリラヤ地方に残存していたユダヤ人共同体は,キリスト教信仰に基づくビザンティン・ローマ帝国の迫害に耐えかねて絶滅した。これ以後,ビザンティン帝国の支配圏外にあったバビロニアの教学院(イェシバyeshivah)が,ユダヤ教律法研究の中心になった。このため,〈エルサレム・タルムード〉は未完成に終わったばかりか,ユダヤ人世界に対する影響力も失った。…
【ユダヤ教】より
…大部分はローマ帝国内にいたが,再度にわたる反乱の際に,ディアスポラも厳しい弾圧を受けたため,ローマ帝国の支配圏外にあったバビロニアのディアスポラが徐々にユダヤ人世界の中心になっていった。特に5世紀以降は,バビロニア各地にあった教学院(イェシバーyeshivah)に集まった律法学者たちが,〈ラビのユダヤ教〉を完成する任務を遂行した。その結果,ユダヤ民族・宗教共同体の歴史的軌跡であり,その生き方の基準である口伝律法の集大成として,〈バビロニア・タルムード〉が編纂された。…
※「yeshivah」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」