翻訳|Talmud
旧約聖書,ミシュナに次ぐユダヤ教の聖典。ヘブライ語の原意は〈学習〉。後4世紀末に〈エルサレム・タルムードJerusalem Talmud〉(別名〈パレスティナ・タルムードPalestinian Talmud〉),その100年後に〈バビロニア・タルムードBabylonian Talmud〉が成立した。これら両タルムードは,200年ころ総主教ユダ(イェフダ)Judah ha-Nasiが編纂したミシュナをめぐってユダヤ人律法学者が数百年間積み重ねた議論の集大成で,ヘブライ語で書かれている。事実,タルムードの本文には,ミシュナの各節と,それに関する学者たちの議論と解釈を記録したゲマラGemara(アラム語で原意は〈完結〉)が交互に配置されている。
一方,ミシュナMishnah(原意は〈繰返し〉,転じて〈学習〉)は,前2世紀ごろから約400年間,律法学者によって学習,展開されてきた口伝律法の集成である。その起源は,前5世紀中葉に,バビロニアからエルサレムに〈モーセの律法〉をたずさえて来て,公衆の面前で朗読,解説したエズラにさかのぼる(《ネヘミヤ記》8章参照)。この〈モーセの律法〉は,のちに単に律法(トーラー)と呼ばれる旧約聖書巻頭の5冊の書物(《創世記》《出エジプト記》《レビ記》《民数記》《申命記》)の一部であったと思われる。ともかく,エズラによる律法の朗読と解説は,ユダヤ人が,その宗教的・民族的共同体の全生活を律する成文律法を持つと同時に,律法解釈という作業を始めたことを示している。すべての成文法は,不断に変化する現実にそれを適用するためには,必ず解釈がほどこされ,やがて改正される宿命を負っている。しかし,ユダヤ人は,絶対に変更不可能な神聖な文書として成文律法を受け入れたため,現実の状況に適合する規定を作り出すためには,成文律法の解釈のほかに,成文律法と直接関係のない,広範囲な権威に基づく決定にも,成文律法と同じように神聖な権威を認めなければならなかった。これが口伝律法である。
ユダヤ人は3種類の方法によって口伝律法を導き出した。第1はミドラシュmidrash(注解)という方法で,旧約聖書,特に律法(トーラー)の本文の解釈である。第2のハラハーHalakhah(原意は〈歩き方〉)は,法規を意味するが,その権威の基盤は,成文律法だけではなく,古代から受け入れられてきた慣習,権威ある律法学者の判定,学者たちの多数決など,要するにユダヤ人共同体成員の正しい〈歩き方〉を律すると考えられたすべての権威を含んでいた。第3はハガダーHaggadah(説話)で,聖書の中の非法規的物語や,民話,伝説などに基づく教えである。
これらの口伝律法は,師(ラビ)から弟子に教授され,世代から世代に伝達されながら発展していった。そのため,エズラ以前のイスラエルの宗教に対して,口伝律法を中心とする宗教を〈ラビのユダヤ教〉と呼び,その時代区分は,口伝律法の発展段階を示す各時代の律法学者(ラビ)の総称によって示すことになっている。すなわち,口伝律法の基礎を据えたエズラ以後のペルシア時代は〈ソフェリームsopherim(書記)の時代〉と呼ばれ,それに続くヘレニズム・ローマ時代初期は〈ズゴートzuggoth(一対の学者)の時代〉であった。律法研究の二大学派の創設者として有名なヒレルとシャンマイは,最後のズゴートである。後1世紀初頭からミシュナの完成までが〈タンナイームtannaim(学習者)の時代〉,タルムードの集成に向かってミシュナ研究が続けられた300年間は〈アモライームamoraim(解釈者)の時代〉である。アモライームは,タルムードのほかに,ミシュナに脱落した口伝律法(バライタBaraita)を収集して,ミシュナの4倍に及ぶトセフタTosefta(補遺)も編纂した。
ミシュナには6編(スダリーム),63項(マセホート)に分類された口伝律法が収録されている。第1編種子(ズライーム)--農業と農産物の暦,犠牲,祈禱などに関する11項。第2編季節(モエード)--安息日,祝日,断食日などに関する12項。第3編婦人(ナシーム)--結婚,離婚,夫婦関係などに関する7項。第4編損害(ネズイキーン)--民法,刑法の手続と,口伝律法の歴史的権威などに関する10項。第5編聖物(コダシーム)--犠牲の供物,神殿,祭司の職務などに関する11項。第6編清潔(トホロート)--祭儀的な潔,不潔に関する12項。以上,全63項のうち〈エルサレム(パレスティナ)・タルムード〉は39項,〈バビロニア・タルムード〉は37項に関する注釈と議論を扱う。しかし,〈バビロニア・タルムード〉の分量は〈エルサレム・タルムード〉の約10倍に及び,その議論ははるかに詳細を極めている。
5世紀初めに,ガリラヤ地方に残存していたユダヤ人共同体は,キリスト教信仰に基づくビザンティン・ローマ帝国の迫害に耐えかねて絶滅した。これ以後,ビザンティン帝国の支配圏外にあったバビロニアの教学院(イェシバーyeshivah)が,ユダヤ教律法研究の中心になった。このため,〈エルサレム・タルムード〉は未完成に終わったばかりか,ユダヤ人世界に対する影響力も失った。これに対して,〈バビロニア・タルムード〉は,〈ラビのユダヤ教〉の聖典としての権威を確立し,今日に及んでいる。
→聖書 →ユダヤ教
執筆者:石田 友雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ユダヤ教の口伝律法「ミシュナ」と、これに対する注釈「ゲマラ」を集大成したもので、ユダヤ人にとり「モーセ五書」(トーラー)に次ぐ権威をもつものとされる。タルムードは生活上あらゆる問題を網羅して論じているので、祖国を離れたユダヤ人はつねにこれを生活のよりどころとしてきた。
ミシュナは紀元200年ごろラビ・ユダによって初期律法学者の教説を選別、体系化して編集された。これは種子篇(へん)(農業法)、聖会篇、婦女篇(婚姻法)、損害篇(民法、刑法)、聖物篇(祭儀法)、聖潔篇の六部からなる。その後ミシュナはパレスチナとバビロニアの両地で律法研究の基本資料となり、やがて膨大な注釈(ゲマラ)を生んだ。これは別々に編纂(へんさん)され、パレスチナ・タルムード(400ころ)とバビロニア・タルムード(500ころ)となった。両者はともに同じミシュナを基本資料としているが、パレスチナとバビロニアの社会的、経済的、そして文化的差異がゲマラに反映している。とくにバビロニアのユダヤ人コミュニティは経済的に恵まれ、他のコミュニティに比べて文化的にひときわ卓越していたため、彼らの生み出したバビロニア・タルムードは、生活、信仰の基礎としてユダヤ人全体に大きな権威と影響力をもつことになった。なお、ミシュナにはヘブライ語、ゲマラにはアラム語が用いられている。
[石川耕一郎]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
ユダヤ人律法学者の,モーセ律法およびそれから演繹した社会百般の事項に対する口伝的解答を収録したもの。本文のミシュナと注解のゲマラからなり,前者はヘブライ語,後者はアラム語で記されている。また4世紀末頃に編集されたパレスチナ・タルムードと,6世紀頃までに編集されたバビロニア・タルムードがある。中世をへて現代に至るまでのユダヤ人の精神文化を知る貴重な資料である。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…彼は母を殺し,多くの人妻と姦通し,数々の殺人の下手人となり,蜜のように甘い歌を歌って劇場での成功を憧れるとともに,パルティア人などと同盟してエルサレム神殿を焼き,ユダヤ人を焼き滅ぼすと語られている。しかしまたユダヤ教の〈タルムード〉の中には,ネロがパレスティナに定住してユダヤ教に改宗し,ユダヤ婦人をめとり,その子孫から偉大な律法学者が出たという奇妙な伝説もある。キリスト教でも《ヨハネの黙示録》第13章が,新しいネロを獣の数666で示したと解釈され,キリスト再臨の前に再び姿を現し,迫害と偶像崇拝をもたらすアンチキリストとされる。…
…長い間,口伝律法は口頭で伝承されていたが,後200年ころ,総主教ユダ(イェフダ)によってミシュナに集成された。その後さらに300年間,ミシュナの本文に基づく口伝律法の研究が積み重ねられた結果,4世紀末に〈エルサレム(別名パレスティナ)・タルムード〉,5世紀末に〈バビロニア・タルムード〉の編纂が完結した。ミシュナとタルムードは,成文律法を中心として1世紀末に成立した旧約聖書とともに,ユダヤ教の聖典となった。…
…他方パレスティナやバビロンの正統派のユダヤ教においては,以上のような外来思想の影響から離れ,それ自体の内部で,いかにして〈モーセ律法〉を彼らの現実的な日常生活に適用するかという問題が,前2世紀から5世紀にかけて,律法学者や教師によって論議されてきた。この〈モーセ律法〉に関する彼らの口伝や解釈を集めたものがいわゆる〈タルムード〉である。これには4世紀末ごろに編集された《エルサレム・タルムード》と5世紀末ごろまでに編集された《バビロニア・タルムード》がある。…
※「タルムード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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