世界大百科事典(旧版)内のZelyonyiの言及
【マフノ】より
…マフノ農民軍はドイツ軍撤退ののち,ウクライナ農民の代表としての立場を堅持し,ウクライナ民族派のペトリューラSimon Vasil’evich Petlyura(1879‐1926)の軍,白衛軍のデニキン,ウランゲリの軍との戦闘においてはボリシェビキと協力したが,のちに1919‐20年にかけてはソビエト政権の穀物徴発政策をめぐってボリシェビキと厳しく対立するようになった。この点タンボフ県のアントーノフの反乱や同じウクライナのゼリョーヌイZelyonyi(緑)の反乱と同じ性格をもっている。1919年後半の最盛期には5万名以上の勢力を擁し,マフノはウクライナ農民の強い支持を受け,〈バチコ(父)〉の愛称で呼ばれた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」