世界大百科事典(旧版)内のコンラーディンの言及
【シュタウフェン朝】より
…フリードリヒが死去するとともに,シュタウフェン家の勢いは落日の早さで落ち,シチリアを手中にするため遠征したコンラート4世が1254年他界した後には,同家からのドイツ国王候補は現れなかった(大空位時代)。その子コンラーディンKonradin(Konrad,1252‐68)は1267年,イタリアに遠征して敗れ,翌年シャルル・ダンジューの命によってナポリに処刑され,シュタウフェン家は断絶した。【山田 欣吾】。…
※「コンラーディン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」