三大仇討(読み)さんだいあだうち

世界大百科事典(旧版)内の三大仇討の言及

【伊賀越道中双六】より

…1634年(寛永11)11月剣客荒木又右衛門が義弟渡辺数馬の助太刀をして伊賀上野城下の鍵屋の辻で河合又五郎を討ったという伊賀越の敵討を題材にした作品の総称。曾我兄弟,赤穂浪士と並ぶ三大仇討の一つとして,近世演劇のみならず小説,講談,さらには映画等にも広くとりあげられている。歌舞伎では1725年(享保10)7月大坂嵐座の《伊賀上野仇討》や41年(寛保1)6月江戸市村座の《敵討三組盃》,人形浄瑠璃では76年8月江戸外記座の紀上太郎(きのじようたろう)作《志賀の敵討》等がその早い例だが,伊賀越の世界を確立する上で最も功績のあった作品としては,前述の歌舞伎《伊賀越乗掛合羽》をあげるべきだろう。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」