歓喜寿院(読み)かんきじゅいん

世界大百科事典(旧版)内の歓喜寿院の言及

【七条院】より

…他の女院領と比べ最も遅れて成立したこの荘園群には,東国の荘園はほとんど見られない。女院の弟坊門信清は後鳥羽の信任厚く,七条院は宣陽門院,八条院と並んで権勢を競い,1206年(建永1)筑前の安楽院に三重塔を建て,14年(建保2)その居所に歓喜寿院を建立,若狭国太良荘の年貢の一部をその修二月雑事にあて,21年(承久3)承久の乱直前にこの荘を正式に同院領とした。しかし乱後は所領を一時幕府に没収されるなど勢威は衰えた。…

【太良荘】より

…時国は,比企の乱に連座した忠季に代わって03年(建仁3)にいったん地頭となった中条家長の代官となる一方,左少将源家兼の家人となった。この家兼の父でおそらく知行国主であった前治部卿源兼定は,16年(建保4)までに保の年貢の一部を七条院の建立した歓喜寿院の修二月雑事に充て,保を太良荘とし,みずからは領家となって時国の母中村尼を公文職に補任,翌年,検注を行い12の百姓名を定めた。 21年(承久3)七条院は官宣旨により荘を正式に歓喜寿院領としたが,承久の乱により荘は顚倒し,再び国衙領太良保となり,乱の前年地頭に還補された若狭忠季の子忠清は,公文職・馬上免等の時国の所領を押さえた。…

※「歓喜寿院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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