[1] 〘係助〙
[一] 文中で係りとなる
用法。これとかかわりをもつ文末活用語は已然形をとる。ただし、上代では已然形の発達の遅れている
形容詞および形容詞型活用の語の場合は連体形。→語誌(1)(2)。
① 文中の連用語をうけ、その
被修飾語である述語用言との結び付きを強める。ただし、結びの述語用言が省略されることがある。
(イ) 已然形によって続けられた前句と後句との関係が順接のもの。この用法はきわめて少ない。
※
古事記(712)上・
歌謡「汝許曾
(コソ)は 男にいませば〈略〉
若草の 妻持たせらめ 吾はもよ 女にしあれば 汝を置
(き)て 男
(を)は無し」
(ロ) 順接関係で続くべき後句を表現しないで、余情としてその意を含むもの。
※
万葉(8C後)一二・三一一四「極まりて吾もあはむと思へども人の言社
(こそ)繁き君にあれ」
(ハ) 已然形で続けられた前句と後句との関係が、意味的に逆接のもの。→語誌(3)。
※
書紀(720)雄略二三年八月・歌謡「道に闘
(あ)ふや 尾代の子 母
(あも)に挙曾
(コソ) 聞こえずあらめ 国には聞こえてな」
※
浮世草子・好色一代女(1686)五「
(もめん)布子でこそあれ、継の当たを着事は御ざらぬ」
(ニ) 逆接で続くべき後句を表現しないで、余情としてその意を含むもの。
※万葉(8C後)一六・三八二六「蓮葉はかく許曾(コソ)あるもの意吉麻呂が家なる物は芋(うも)の葉にあらし」
(ホ) 已然形で意味的に切れるもの。上代にはきわめてまれで、しかも「うべしこそ」「
かくしこそ」の形が主であったが、時代が下るとともに逆接関係で続くものより優勢となる。
※万葉(8C後)一九・四一八七「かくし己曾(コソ) いや年のはに〈略〉あり通ひ 見つつしのはめ この布勢の海を」
※
徒然草(1331頃)一九「
折節の移りかはるこそ、ものごとに哀れなれ」
② 条件文の前句をうけ、後句との結び付きを強める。
(イ) 確定条件を表わす語をうける。上代では已然形をうける場合、
接続助詞「ば」を介さず直接につく。
※万葉(8C後)一七・三九三三「ありさりて後も逢はむと思へ許曾(コソ)露の命も継ぎつつ渡れ」
※徒然草(1331頃)八八「さ候へばこそ、世にありがたき物には侍りけれ」
(ロ) 仮定条件を表わす語をうける。
※古事記(712)下・歌謡「つぎねふ 山城女の 木鍬持ち 打ちし大根 根白の 白腕(ただむき) まかずけば許曾(コソ) 知らずとも言はめ」
(ハ) 「ばこそ」「てこそ」の形で文を
終止して反語表現となる。
※宇津保(970‐999頃)俊蔭「里に住めども吾子よりほかに、見え通ふ人のあらばこそ」
③ 質問文をうけた答の文の文頭に用いて、「確かに」という
気持を表わす。
中世に見られる用法。→語誌(4)。
※ロドリゲス日本大文典(1604‐08)「『コレヲ ミタカ?』『
Coso(コソ) ミマウシテ ゴザレ』」
※虎明本狂言・鎧(室町末‐近世初)「『ざっくときておどすと仰られたが、それはないか』『こそ御ざる』」
[二] 文末にあって詠歎的強調を表わす。
※万葉(8C後)一四・三五七四「小里なる花橘を引きよぢて折らむとすれどうら若み許曾(コソ)」
[2] 〘終助〙 文末の連用形をうけ、他に対する希望の意を表わす。上代だけに見られる用法。
※万葉(8C後)五・八五二「梅の花夢(いめ)に語らくみやびたる花とあれ思(も)ふ酒に浮かべ許曾(コソ)」
[3] 〘接尾〙 (しばしば「古曾」と書く) 呼びかけに用いる。中古以後の用法。→語誌(5)。
※大和(947‐957頃)一五八「聞き給ふや、西こそといひければ」
※今昔(1120頃か)二四「父古曾(こそ)と呼べば、忠行何ぞと云へば」
[語誌](1)文中の「こそ」をうけて形容詞または形容詞型活用の語の連体形で結んだ例として、「書紀‐仁徳二二年正月・歌謡」の「衣虚曾(コソ) 二重も良き さ夜床を 並べむ君は かしこきろかも」、「万葉‐二七八一」の「海(わた)の底おきを深めて生ふる藻のもとも今社(こそ)恋はすべ無き」などがある。
(2)「こそ…已然形」の呼応には、中古から破格の例が見えはじめる。その最も早い例は、句点に関して異論もあるが「竹取」の「さればこそ異物の皮なりけり」で、「源氏‐行幸」にも「内侍のかみあかばなにがしこそ望まむと思ふを」の例が見られる。「今昔」以後、次第にその例が多くなるが、結びの活用語が動詞、形容詞の場合はほとんどなく、「けり」「なり」(伝聞、または推定)などの断定性の弱く、感動性を含む助動詞、および推量の助動詞からはじまる。中世以降は破格化が進み、断定性の強い助動詞や形容詞にもおよぶ。
(3)中古以後、逆接の意味を接続助詞の「ど(も)」「とも」「に」などによって表わす例が現われる。「源氏‐東屋」の「守こそおろかに思ひなすとも我は命を譲りてかしづきて」、「太平記‐一九」の「後は山により、前は水を堺ふ事にてこそあるに」など。
(4)(一)(一)③のような例について、「ロドリゲス日本大文典」には、「ある質問の句があって、それに力強く答える句に用いる」と説明している。
(5)(三)の接尾語の用法から転じ、やがて人名に添える語となる。「宇津保‐忠こそ」の「男のいとをかしげなるを生み給へり。名をばただこそといふ」、「宇治拾遺‐一」の「花こそと云ふ文字こそ、女の童などの名にしつべけれ」など。