デジタル大辞泉
「井上靖」の意味・読み・例文・類語
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いのうえ‐やすし【井上靖】
- 小説家。北海道旭川生まれ。新聞記者から作家となり、新聞小説・歴史小説に新境地を開いた。昭和二四年(一九四九)「闘牛」で芥川賞受賞。作品「氷壁」「天平の甍」「敦煌」など。明治四〇~平成三年(一九〇七‐九一)
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井上靖
いのうえやすし
(1907―1991)
小説家。明治40年5月6日、北海道旭川(あさひかわ)生まれ。井上家は代々伊豆湯ヶ島の医家であった。父隼雄は軍医で、旭川第七師団勤務中に長男靖が生まれた。3歳のとき父母のもとを離れて湯ヶ島に帰り、曽祖父(そうそふ)潔の妾(めかけ)であったかのの手で育てられる。沼津中学を経て、1927年(昭和2)旧制四高に入学し、柔道部選手生活を送る。30年、九州帝国大学法文学部に入学したが、上京して福田正夫の主宰する詩誌『焔(ほのお)』の同人となる。32年、京都帝国大学哲学科に転じ、同人雑誌『聖餐(せいさん)』を刊行。36年卒業後、『サンデー毎日』の懸賞小説に『流転』(1936)が入選したのが機縁で、毎日新聞大阪本社に入社。37年、日華事変に応召して華北に駐屯したが、病気で内地送還となり社に復帰。以後、宗教記者、美術記者を勤め、かたわら安西冬衛(あんざいふゆえ)、野間宏(のまひろし)など関西の詩人と交わる。終戦後、突如あふれるように詩を発表し始める。48年(昭和23)東京本社に転じ、50年『闘牛』(1949)によって芥川(あくたがわ)賞を受賞。
井上の文壇登場後、中間小説と新聞小説の全盛期が訪れ、多作に耐えつつ、『あした来る人』(1954)、『氷壁』(1956~57)などで新聞小説作家の地歩を固める一方、『異域の人』(1953)などで歴史小説の主題も温めていった。『天平(てんぴょう)の甍(いらか)』(1957)、砂漠の小国の興亡を描いた『楼蘭(ろうらん)』(1958)、ジンギス・カンを描いた『蒼(あお)き狼(おおかみ)』(1959~60)ののち、高麗(こうらい)側から元寇(げんこう)をとらえた『風濤(ふうとう)』(1963)で彼の歴史小説は堅固な年代記的手法を確立し、この手法は『おろしや国酔夢譚(すいむたん)』(1966~67)でいっそう深化され、歴史の運命相を映し出している。さらに、利休の死の秘密に取り組んだ『本覚坊遺文(ほんかくぼういぶん)』(1981)では伝統文化の本質に迫り、歴史小説のいっそうの深化をみせている。また母やゑの老耄(ろうもう)を描いた『月の光』(1969)などの短編で、人間の原存在に触れる動きもみせている。多くの作品が諸外国で翻訳され国際的評価も受けている。1964年芸術院会員に推され、76年文化勲章受章。
[福田宏年]
『『井上靖小説全集』全32巻(1972~75・新潮社)』▽『『井上靖歴史小説集』全11巻(1981~82・岩波書店)』▽『福田宏年著『井上靖の世界』(1972・講談社)』▽『『現代日本文学アルバム15 井上靖』(1973・学習研究社)』▽『長谷川泉編『井上靖研究』(1974・南窓社)』▽『福田宏年著『井上靖評伝覚』(1979・集英社)』
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井上 靖
イノウエ ヤスシ
昭和・平成期の小説家 日中文化交流協会会長;国際ペンクラブ本部副会長;日本近代文学館名誉館長;北京大学名誉教授。
- 生年
- 明治40(1907)年5月6日
- 没年
- 平成3(1991)年1月29日
- 出生地
- 北海道上川郡旭川町(現・旭川市)
- 出身地
- 静岡県田方郡上狩野村湯ケ島(現・天城湯ケ島町)
- 学歴〔年〕
- 京都帝国大学文学部哲学科〔昭和11年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 千葉亀雄賞(第1回)〔昭和11年〕「流転」,芥川賞(第22回)〔昭和24年〕「闘牛」,芸術選奨文部大臣賞(第8回)〔昭和32年〕「天平の甍」,日本芸術院賞(第15回)〔昭和33年〕「氷壁」,文芸春秋読者賞(第18回)〔昭和35年〕「蒼き狼」,野間文芸賞(第14回)〔昭和36年〕「淀どの日記」,読売文学賞(第15回・小説賞)〔昭和38年〕「風濤」,日本文学大賞(第1回)〔昭和44年〕「おろしや国酔夢譚」,文化勲章〔昭和51年〕,菊池寛賞〔昭和55年〕,日本文学大賞(第14回)〔昭和57年〕「本覚坊遺文」,ブルーレーク賞〔平成1年〕,野間文芸賞(第42回)〔平成1年〕「孔子」
- 経歴
- 中学生の時はじめて詩に関心を持ち、高校時代「日本海詩人」に詩を発表、大学時代「焰」の同人となる。のち「サンデー毎日」の懸賞小説に「初恋物語」などが入選し、昭和11年大阪毎日新聞社に入社。同年「流転」で千葉亀雄賞を受賞。「サンデー毎日」編集部を経て、学芸部記者をつとめる。戦後の21〜23年の間は、詩作に力を注ぎ、後の小説のモティーフ、主人公の原型となる作品を多く書く。24年以降再び小説を書き始め、同年「闘牛」で芥川賞を受賞。26年毎日新聞社を退職し、以後作家として幅広く活躍。他の代表作に、現代小説「猟銃」「氷壁」(芸術院賞)「射程」「あすなろ」「夏草冬濤」などがあり、歴史小説に「淀どの日記」(野間文芸賞)「おろしや国酔夢譚」(日本文学大賞)「本覚坊遺文」(日本文学大賞)、大陸を題材にしたものに「天平の甍」(芸術選奨)「蒼き狼」「敦煌」「風濤」(読売文学賞)、詩集に「運河」「井上靖シルクロード詩集」などがある。また中国をはじめ、海外を多く旅行し、55年「井上靖とNHK『シルクロード』取材班」に対して菊池寛賞が与えられた。日本文芸家協会会長(昭44〜47)、日本ペンクラブ会長(昭56〜60)、日中文化交流協会会長(昭55〜)など公私の役職も多くつとめ、39年日本芸術院会員となり、51年文化勲章を受章した。「井上靖小説全集」(全32巻 新潮社)、「井上靖歴史小説集」(全11巻 岩波書店)、「井上靖エッセイ全集」(全10巻 学研)、「井上靖全集」(全28巻 別巻1 新潮社)。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
井上靖
いのうえやすし
[生]1907.5.6. 北海道,旭川
[没]1991.1.29. 東京
小説家。金沢の第四高等学校理科,九州大学法文学部 (中退) を経て 1936年京都大学哲学科卒業。京大在学中,戯曲『明治の月』 (1935) が新橋演舞場で上演され,時代小説『流転 (るてん) 』 (36) で千葉亀雄賞を受けた。しかし卒業後大阪毎日新聞社に入社して筆を絶ったが,第2次世界大戦後芥川賞を受けた『闘牛』 (49) ,『猟銃』 (49) で復帰,文名を確立した。勝負師的な行動家の激しい情熱と,それに伴う内面の虚無という鮮かな対照を個性的な人間像とともに描く『黯 (くろ) い潮』 (50) ,『黒い蝶』 (55) ,『氷壁』 (56~57) などを書き,物語作家としての才能を示した。その後歴史小説に新生面を開き,『風林火山』 (53~54) など日本の戦国ものを経て,鑑真 (がんじん) 来朝に取材した『天平の甍 (いらか) 』をはじめ,『楼蘭』 (58) ,『敦煌 (とんこう) 』 (59) ,『蒼き狼』 (63) ,『風濤』 (63) など茫洋とした歴史的時間を再現する大陸ものへと発展を示した。『孔子』 (89) が遺作となった。 59年日本芸術院賞受賞。 64年芸術院会員。 76年文化勲章受章。
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井上靖【いのうえやすし】
小説家。北海道旭川の生れ。京大哲学科卒。《毎日新聞》記者となり,学生時代に書いていた小説の筆を断つ。1949年,40歳のとき,《闘牛》を書き《文学界》に発表,これが芥川賞を受け作家生活に入る。《風林火山》《天平の甍》《楼蘭》《敦煌》《氷壁》《憂愁平野》《本覚坊遺文》《孔子》など,歴史小説から現代小説まで幅広く,映画化された作品も多い。1976年文化勲章。
→関連項目山崎豊子
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井上靖 いのうえ-やすし
1907-1991 昭和後期-平成時代の小説家。
明治40年5月6日生まれ。毎日新聞につとめ,昭和25年「闘牛」で芥川賞。26年作家生活にはいり,「氷壁」など中間小説とよばれる物語性ゆたかな作品や,「天平の甍(いらか)」をはじめとする歴史小説で人気をえた。51年文化勲章。芸術院会員。平成3年1月29日死去。83歳。北海道出身。京都帝大卒。作品はほかに「本覚坊遺文」「孔子」など。
【格言など】自分で歩き,自分で処理して行かねばならぬものが,人生というものであろう(「わが一期一会」)
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井上靖
いのうえやすし
1907.5.6~91.1.29
昭和期の詩人・小説家。北海道旭川市に生まれ,伊豆の湯ケ島で育つ。京大卒。学生時代は同人誌に詩を発表し,各種懸賞小説に入選した。卒業後は毎日新聞社入社。「闘牛」で1949年(昭和24)芥川賞受賞。51年から創作に専念。76年文化勲章受章。代表作「猟銃」「氷壁」「天平の甍(いらか)」「しろばんば」「本覚坊遺文(ほんかくぼういぶん)」。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
井上 靖 (いのうえ やすし)
生年月日:1907年5月6日
昭和時代;平成時代の小説家。日本ペンクラブ会長;日中文化交流協会会長
1991年没
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世界大百科事典(旧版)内の井上靖の言及
【天平の甍】より
…井上靖(1907‐91)の歴史小説。1957年《中央公論》に連載。…
【歴史小説】より
…その中で最も有名な作品の一つ《山椒大夫(さんしようだゆう)》を発表した1915年に,彼は《歴史其儘(そのまま)と歴史離れ》という文章を書いているが,彼の歴史小説方法論として重要な文献である。 それ以後,たとえば中里介山の《大菩薩峠(だいぼさつとうげ)》(1934完結)や大仏(おさらぎ)次郎の《鞍馬天狗》シリーズのような,いわば日本におけるスコット風の国民文学の出現とか,第2次世界大戦後における井上靖の多くの歴史小説,とくにその一つである《蒼(あお)き狼》をめぐって著者と大岡昇平との間になされた歴史小説論争など,さまざまな興味ある問題がある。 どこの国でも,いわゆる〈古きよき時代〉を郷愁的に懐かしむ小説は多く,またその中のかなりの作品が,ときに映画やテレビドラマなど他のメディアを通じて,大きな人気を呼ぶことがある。…
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