岩手県南西部の市。2006年2月江刺(えさし)市,水沢(みずさわ)市と胆沢(いさわ)町,前沢(まえさわ)町および衣川(ころもがわ)村が合体して成立した。人口12万4746(2010)。
奥州市中西部の旧町。旧胆沢郡所属。人口1万7302(2005)。北東は旧水沢市,西は秋田県に接する。東西に細長い町域をもち,西部は奥羽山脈の山岳地帯,中央部は胆沢川がつくる胆沢扇状地,東部は北上川の沖積地となっており,胆沢扇状地には典型的な散村集落が展開する。1617年(元和3)に伊達政宗の家臣でキリシタンの後藤寿庵が胆沢川の水を引いて寿庵堰を開削してから扇状地の開発が始まった。1953年胆沢川上流に石淵ダムが完成して扇状地の土地改良が進み,県内有数の穀倉地帯となった。農業が基幹産業で,米作に畜産,野菜を加えた複合経営が行われ,胆沢米,陸中牛,胆沢ピーマンなどの主産地となった。埴輪をともなう古墳としては日本最北端にあたるとされる角塚古墳があり,渓谷美で名高い焼石岳一帯は栗駒国定公園に含まれる。
執筆者:松橋 公治
奥州市北東部の旧市。北上川中流の東岸にある。1955年に江刺郡岩谷堂町と愛宕(あたご),田原,藤里,伊手,米里,玉里,梁川,広瀬,稲瀬の1町9村が合体して江刺町となり,58年に市制。人口3万2544(2005)。中心部の岩谷堂は北上川の支流人首(ひとかべ)川の谷口集落で,中世には葛西氏の一族江刺氏の城下町となり,江戸時代は仙台藩北端の要衝であった。また北上川舟運の河港下川原をひかえ,遠野・気仙方面との交易中心地として岩谷堂商人の名をあげた。天保年間(1830-44)からの伝統を誇る岩谷堂たんすが特産。1890年開通した東北本線からはずれてからは水沢に繁栄を奪われた。北上川沿いの沖積地帯は江刺金札米で知られた良質米(ササニシキが中心)の産地で,東部北上高地の台地などでは,昭和30年代から酪農業が盛んとなり,特に肉牛の陸中牛は年々評価を高めている。昭和50年代からは江刺中核工業団地の造成が進められ,一般機械工業の製造品出荷額が全体の4割近く(1995)を占めている。愛宕神社の木造兜跋(とばつ)毘沙門天立像(重要文化財)などがあり,剣舞,鹿(しし)踊など郷土芸能の宝庫でもある。
執筆者:川本 忠平
奥州市南西部の旧村。旧胆沢郡所属。人口4955(2005)。南は平泉町,一関市に接し,西部は奥羽山脈東縁の山地が広がる。北部を北股川,南部を南股川が東流し,東部で合流して衣川となる。789年(延暦8)衣川柵が付近に設けられ,前九年の役,後三年の役の戦場となり,安倍・藤原両氏にまつわる史跡が残る。農業が主産業で,米作,畜産が行われ,近年はキュウリ,イチゴなどの栽培も盛ん。第2次大戦前は軍用馬の産地であった。郷土芸能が数多く伝わり,川西の念仏剣舞や大森子供神楽などが著名である。国道4号線が通る。
奥州市南部の旧町。旧胆沢郡所属。人口1万5131(2005)。北は旧水沢市に接する。中央部には北上川が南流して肥沃な沖積地が開ける。西部は胆沢扇状地の扇端部にあたり,国道4号線,JR東北本線,東北自動車道が通じる。東部は北上高地南西端の束稲(たばしね)山北麓一帯で,東北新幹線が走る。主集落の前沢は,江戸時代に奥州街道の宿駅,北上川舟運の河港として栄えた。県内の穀倉地帯の一角を占め,前沢牛として知られる畜産,野菜栽培が盛んである。東北自動車道平泉前沢インターチェンジもあり,近年多くの工場が進出して,製造業の発展が著しい。奥州藤原氏のひざもとの地で,関連する史跡・文化財も多い。
執筆者:松橋 公治
奥州市中部の旧市。北上盆地の中南部にある。1954年市制。人口6万0239(2005)。中央部を北上川が南流し,西部は奥羽山脈から東流する胆沢川がつくった胆沢扇状地が広がり,扇端は崖状をなして北上低地に臨む。803年(延暦22)坂上田村麻呂が佐倉河に胆沢城を築き,東北経営の基地とした。近世には水沢に伊達氏の支藩が置かれ,寛永期(1624-44)伊達氏の家臣留守氏が臥牛(がぎゆう)城に居住し,その城下町として発展,幕末から明治にかけて高野長英,箕作(みつくり)省吾,後藤新平,斎藤実などの人材が輩出している。〈水沢米〉を産する県の穀倉地帯で,リンゴ栽培や酪農も行われる。羽田(はだ)地区の田茂山には伝統的な鋳物工業がある。JR東北本線が通じる。東北自動車道,東北新幹線(水沢江刺駅が所在する)が開通し,県南の流通拠点としての機能を果たしている。1899年開設の国立水沢緯度観測所(北緯39°08′03″。現,国立天文台水沢VERA観測所)は,国際極運動観測事業の中央局の一つとして知られる。天台宗の名刹黒石寺で2月に行われる蘇民祭は,裸の若者が神札を奪い合って疫病よけと豊作を祈願する祭りである。4月の日高神社の火防祭には豪華な囃子屋台が繰り出す。陸中の一宮駒形神社がある。
執筆者:川本 忠平
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
岩手県南西部に位置する市。2006年(平成18)水沢市(みずさわし)、江刺市(えさしし)、胆沢(いさわ)郡前沢町(まえさわちょう)、胆沢町、衣川村(ころもがわむら)が合併して成立。市名の奥州は陸奥(むつ)国の別称。西側を奥羽山脈、東側を北上(きたかみ)高地で挟まれる北上盆地の南部に位置する。中心域は北上川西岸の河岸段丘上の水沢市街で、その東側を北上川が南流する。南北にJR東北本線、国道4号(旧奥州街道)、456号、東北新幹線、東北自動車道が通り、新幹線の水沢江刺駅、東北自動車道の水沢インターチェンジがある。東西には国道343号、397号が通じ、北部を国道107号、釜石自動車道が横断する。西部は栗駒(くりこま)国定公園の一部。
律令政権が進めた蝦夷(えみし)経営に抵抗した蝦夷との戦線は、8世紀後半に胆沢に及んだ。ここで族長、阿弖流為(あてるい)を降伏させた坂上田村麻呂は802年(延暦21)胆沢城(城跡は国指定史跡)を築き、奥羽平定の拠点とした。胆沢城との密接な関係が推定される水沢区黒石(くろいし)町の黒石寺(こくせきじ)は、行基創建、坂上田村麻呂の再建という。中尊寺に近い衣川区には安倍(あべ)氏や藤原氏にかかわる遺跡が多い。江戸時代、仙台藩は岩谷堂(いわやどう)要害を中心として盛岡藩に対する藩境防衛体制をとった。岩谷堂要害の館下に発達した岩谷堂町は北上川の河港下川原(しもかわら)を擁し、また盛(さかり)街道が通じ、北上川流域と気仙(けせん)方面の産物の交易市場として栄えた。ほかに要害の置かれた人首(ひとかべ)、野手崎(のてざき)などにも盛街道の宿場町が形成された。奥州街道の宿駅では、盛街道との分岐点となる水沢宿や前沢宿が置かれた。1617年(元和3)伊達(だて)家の家臣でキリシタンの後藤寿庵(じゅあん)がつくった寿庵堰(ぜき)などによって、胆沢川の水を扇状地に揚水し、新田開拓が進められた。1899年(明治32)水沢に開設された緯度観測所(現、国立天文台水沢VLBI観測所)は、国際極運動観測事業の中央局として、その名が世界に知られている。
現在、北上川西部扇状地では水稲(江刺金札米など)、豆類、野菜、リンゴなどを栽培し、南部鉄器の生産も盛ん。東部の原野は馬産地であったが、近年、乳牛、肉牛(前沢牛など)飼育が行われている。江刺中核工業団地をはじめ、水沢工業団地、伝統産業の岩谷堂箪笥(たんす)の木工団地、前沢区の本杉(もとすぎ)工業団地などが造成された。2008年(平成20)岩手県内陸南部を震源とする岩手・宮城内陸地震が発生、市域でも各所で崩落がおこり、断水、道路網の寸断など大きな被害が出た。2011年の東日本大震災では死者3人・行方不明1人、住家全壊51棟・半壊414棟を数えた(消防庁災害対策本部「平成23年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)について(第159報)」平成31年3月8日)。胆沢区の角塚古墳(つのづかこふん)、水沢区の高野長英旧宅(たかのちょうえいきゅうたく)(いずれも国史跡)などの史跡がある。黒石寺で夜を徹して行われる蘇民(そみん)祭は、奇祭として知られる。面積993.30平方キロメートル(一部境界未定)、人口11万2937(2020)。
[編集部]
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出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…大化改新以後,日本海側に出羽国,太平洋側に陸奥国がつくられ,東山道に属した。両国の総称として奥羽,あるいは奥州と呼ばれたこの地域は,当時の他の国々と比べ著しく大きな国で,その後12世紀にわたってこの2国制が続いた。古代の城柵は日本海側では高清水(現,秋田市),太平洋側では多賀城(現,宮城県多賀城市)に置かれ,蝦夷経営の拠点となった。…
…旧国名。奥州。現在の福島県,宮城県,岩手県,青森県の全域と秋田県の一部。…
※「奥州」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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