昭和期の陸軍大将
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
陸軍軍人(大将)。高知県出身。陸軍士官学校,陸軍大学校を卒業。オーストリア大使館兼ハンガリー公使館付武官,陸軍省軍事課長などをへて1935年に陸軍省軍事調査部長に就任し,翌年の二・二六事件の勃発に際しては反乱軍に対して好意的立場をとる。また,北支那方面軍参謀長時代の39年には天津の英仏租界を封鎖するという強硬方針をとって,国際問題を引き起こした。太平洋戦争が開始されると,第25軍司令官としてマレー攻略作戦を指揮し,短期間のうちにシンガポールを陥落させて一躍,国民的英雄となった。その後,44年にはフィリピンの防衛にあたる第14方面軍司令官となり,アメリカ上陸軍との戦闘を指導したが,潰滅的打撃をこうむって山中で敗戦を迎えた。敗戦後,フィリピンにおける日本軍の戦争犯罪に関して最高責任者としての責任を問われ,マニラで処刑された。
執筆者:吉田 裕
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…町は09年マニラに次ぐ2番目の政令都市に昇格,植民地時代の夏の主都として有名であった。45年9月フィリピンの日本軍(山下奉文大将)は,ここのアメリカ軍キャンプ(ジョン・ヘイ)で降服に正式調印した。マニラからの道路距離は250km,〈パイン・シティ〉の愛称をもつフィリピン最大の高原避暑地として現在もシーズン中はたいへんにぎわう。…
※「山下奉文」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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