デジタル大辞泉 「数寄」の意味・読み・例文・類語
すき【数寄/数奇】
[類語]物見高い・物好き・物好き
茶の湯を意味する言葉。平安時代には,〈好く〉の連用形である〈好き〉は色好み,あるいは風流文雅を好むこと,の意味であった。鎌倉時代に入ると,色好みとは区別して〈数寄〉という文字が使われるようになったが,それはもっぱら歌道の風流を意味する語として用いられていた。数寄が茶の湯を対象とするようになったことを示す早い例は,歌論集《正徹物語》(1444-52ころ成立)であり,歌数寄に対して〈茶数寄〉という語が用いられている。1526年(大永6)村田珠光の嗣子宗珠のもとを訪れた連歌師宗長は〈下京茶湯とて,此ごろ数寄などいひて,四畳半敷,六畳舗,おのおの興行〉(《宗長手記》)と記しており,16世紀に入ったころには〈数寄〉という語が茶の湯を意味するようになっていたことが知られる。その当時,闘茶こそ衰退していたが,淋汗の茶があり,東山殿中における唐物で荘厳された茶の世界もあった。宗珠の推進していたのはそのような茶の湯とは別のもの,すなわち侘(わび)の茶であり,宗長はそれを〈数寄〉と記したのである。《日葡辞書》(1602)には,〈スキ(数奇・好き)〉とは〈心を傾け好むこと〉〈茶の湯の道〉と説明されている。また《日本教会史》(1622完成)には,数寄をめざす人々は〈東山殿の古い様式を部分的に改めて,この茶の湯の様式をますます完成してゆき,その結果,現在流行している数寄と呼ばれている別の様式を作り上げた〉と記されている。17世紀には,数寄といえば侘茶を指すようになり,侘茶が茶の湯の本流として位置づけられるようになった。17世紀末に茶道の称がおこり,元禄年間(1688-1704)ころからは数寄道は茶道と呼ばれるようになる。
→茶道
執筆者:日向 進
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
日本の美意識の一つ。時代によって変化がある。平安時代の「好き」は恋愛・芸道への傾倒をいい,「数奇」と表現された。しかし「数奇」はもともと不幸を意味したことから,室町時代には「数寄」と書き,数々の茶道具の取合せをいうようになった。戦国末期の1564年(永禄7)の「分類草人木(そうじんぼく)」には「近代茶ノ湯ノ道ヲ数寄ト云ハ」とあり,このときには「茶の湯」が定着していたと考えられる。江戸中期には「茶道」の語が一般的となる。明治期に輩出した実業家茶人をとくに「数寄者」とよんだ。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…茶道という言葉は17世紀初頭になって,規範的な〈道〉の思想が強く意識されて登場してくる。それまでは茶の湯とか数寄(すき)と呼ばれており,今日でも茶の湯と茶道はほとんど同義に用いられている。また〈さどう〉〈ちゃどう〉両様のよみ方があって一定しない。…
※「数寄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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