新馬場(読み)しんばば

日本歴史地名大系 「新馬場」の解説

新馬場
しんばば

[現在地名]人吉市上新かみしん町・下新しもしん

人吉城の球磨川を挟む対岸七日なぬか町通の東側延長上両脇に形成された武家町。東と北はおお村に接する。寛政一〇年(一七九八)の藩士分限帳(熊風土記)によると、一〇〇石取鎌田小野右衛門、五〇石取高畠茂兵衛・加賀平八・有瀬平右衛門など、主として一〇〇石未満の知行取と、五人扶持恒松小左衛門など一五家の扶持方が居住した。

新馬場
しんばば

[現在地名]相馬市西山にしやま 西山

堀河ほりかわ町の西端から南西鷹巣たかのす町までの間の一三六間の通りで、武家屋敷が並ぶ。途中から南に折れる新馬場横町は、かつて西光院さいこういん小路とよばれ、南北七六間となっている。新馬場には、当初公族である泉氏の屋敷が置かれていたが、元和年間(一六一五―二四)に平士の屋敷町に切替えられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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