末森城跡(読み)すえもりじようあと

日本歴史地名大系 「末森城跡」の解説

末森城跡
すえもりじようあと

[現在地名]押水町竹生野・南吉田

相見あいみ川中流右岸、末森山の頂上部から主として相見川に面した南麓部にかけて築かれた山城。この地は越中国境までの距離が最も短くなった所で、しかも城跡から日本海までは三キロしかない。最頂部に本丸、その南側に二の丸・若宮丸・三の丸や生活区域と推定される若宮などがあったと伝え、周辺には女郎屋敷・侍屋敷・伊予屋敷など城に関連するとみられる地名が多数残る。昭和六〇―六三年(一九八五―八八)押水町教育委員会が詳細な分布調査を実施、約三万ヘクタールの範囲で平坦面・堀切空堀・土塁・腰郭など多くの遺構群を確認した。本丸跡とされる郭は長軸が六六メートル、短軸が一五メートルの分銅形で面積約一三〇〇平方メートル。

末森城跡
すえもりじようあと

[現在地名]千種区城山町

東山ひがしやま丘陵末端にあたる自然山林を利用し、天文一七年(一五四八)織田信秀築城。末盛城とも書く。「信長公記」に「備後(織田信秀)殿、古渡の城破却なされ末盛と云所山城こしらへ御居城也」とあり、三河の今川方に対する防御の砦として約一〇年間続いた。寛文年間(一六六一―七三)付近はすでに畑となっていた。末森村古城図(蓬左文庫蔵)によれば、二五間に二八間の本丸を中心として西に二の丸を配し、周りを二重堀で囲んでいる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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