正法寺村(読み)しようぼうじむら

日本歴史地名大系 「正法寺村」の解説

正法寺村
しようぼうじむら

[現在地名]三木市別所町正法寺べつしよちようしようぼうじ一―二丁目・別所町正法寺

美嚢みの川を挟んで下石野しもいしの村の東に位置し、同川は村の北西端で加古川に合流する。北は加東かとう室山むろやま(現小野市)。村名は法道開基と伝える高野山真言宗正法寺に由来する。慶長国絵図に村名がみえる。領主変遷高木たかぎ村に同じ。正保郷帳には正法寺とみえ、田方九石余・畑方五石余。元禄郷帳では高四一石余。この高には正法寺領二〇石と同寺除地五石余が含まれる(旧高旧領取調帳)

正法寺村
しようぼうじむら

[現在地名]但東町正法寺

小谷おだに村の東、出石川流域に位置する。集落東里とうりヶ岳の南麓、出石川右岸に注ぐ支谷沿いに発達。当地から般若はんにや寺の寺跡がある般若高原に行くことができる。地名はかつて当地に正法寺と号する寺院があったことによるという。近世の領主の変遷は水石みずし村に同じ。正保(一六四四―四八)頃成立の国絵図に村名がみえ、高一四〇石余。出石封内明細帳によると拝領高一二四石余・改出高三三石余、これらの内訳は屋敷二石余・麻畑一石余・田方一三九石余・畑方一三石余。

正法寺村
しようぼうじむら

[現在地名]豊岡市正法寺

戸牧とべら村の北に位置し、東は豊岡城下に接する。村名は江戸時代初期まであった寺院正法寺の西にあった正法寺池に由来。寺名は「蔭涼軒日録」長享二年(一四八八)九月二日条にみえ、国人に背かれた山名政豊が一時入っている(→九日市庭。なおこれより先の延文元年(一三五六)一二月日付の伊達真信軍忠状(伊達家文書)にみえる「木崎性法寺」の性法寺も正法寺であろう。村域はもと戸牧村に含まれていたが、廃寺後正法寺池が新開され、天和三年(一六八三)高一二九石余を打出して戸牧村から分れて正法寺村と称した(伊原家文書)

正法寺村
しようぼうじむら

[現在地名]彦根市正法寺町

地蔵じぞう村の東に位置。村名は寺院正法寺に由来するものであろうが、同寺については不詳。「木間攫」は鳥籠とこ山にあったといい、「江左三郡録」は、村にあったが「其坊舎農家ニ成タル也ト云、今モ農家ニ坊号ヲ呼伝ルアリト云」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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