精選版 日本国語大辞典 「耳飾」の意味・読み・例文・類語
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翻訳|earring
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耳朶(じだ)(耳たぶ)を挟んだり,耳朶に孔をうがつなどして装着する装身具。今日では日本でも一般にイアリングと呼ぶことが多い。装飾用だけでなく,魔よけなどの呪術的目的,また身分の象徴としても用いられ,男女共に用いた社会も多い。首飾や腕輪などと同様に,先史時代以来行われ,素材,形状ともさまざまである。古代エジプト,メソポタミアでは黄金製の各種の形状のものが出土している。ツタンカーメン王墓からは垂飾付きの黄金製耳飾が出土しており,王や貴族の権威を表す意味もあったといわれる。ギリシア,ローマでも盛んに用いられ,長い垂飾付きのものが好まれた。金,銀,宝石,ガラスなどを素材としたが,とくに金銀細工の技術が発達し,きわめて装飾的なものが現れる。またローマ人は真珠を好んで用いている。中国では戦国時代末から漢代にかけて耳璫(じとう)と呼ばれる耳飾が盛行した。耳朶に孔をうがち,鼓状や漏斗状,茸状などにしつらえた玉類を嵌装し,その中心に孔をあけて垂飾をつけており,雲南やビルマ(現,ミャンマー)などの非漢族の風習が伝わったものとされる。
中世ヨーロッパでは一時的にアクセサリーの類はすたれるが,ベールや頭巾などで頭部を覆うようになり,耳飾もほとんどつけられなくなる。ヨーロッパに耳飾が復活するのは,15世紀から16世紀にかけてイスラム諸国の風俗が,イベリア半島を経てヨーロッパに伝わったためで,再び華やかに種々のものが作られるようになり,18世紀にはダイヤモンドの細工も始まる。クリップ型やねじ留め式のものは17世紀に生まれ,イアクリップear-clipと呼ぶ。現代では耳朶に孔をあける必要はなくなったが,簡便に小孔をあける(pierced ears)技術が開発され,1970年代後半から盛んに行われている。長く耳朶に孔をあけることを行わなかった日本では,とくに区別してピアスと呼んでいる。
アジアの諸民族の間には,現在も乳児の頃から耳朶に孔をあけ,小さな星の耳飾をつける者が少なくない。一部の民族では,成長するにしたがって大きな飾りに変えていくため,耳朶の孔は,ときに直径10cmに達するものもあり,また重い耳飾を用いる場合,ボルネオの諸族にみるように,耳朶が肩にまでいたるものがある。
→身体変工
執筆者:鍵谷 明子
日本では縄文時代に石製(玉製を含む),骨角製,土製の耳飾がつくられた。石製耳飾は,前期前半期に断面円形の環状製品の一部を切り欠いたものがつくられ,前期後半には扁平な円形板の中央に円孔をうがち,一方から切込みを入れるものになるが,後に三角形に近いものやU字形に近いものなどもつくられる。これら石製品の用途は長く不明であったが,大阪府国府(こう)遺跡で人骨の耳の部分から出土して耳飾と判明した。耳朶に孔をあけ,切れ目から挿入したもので,中国古代の装身具,玦(けつ)に近い形から玦状耳飾と呼ぶ。蛇紋岩,滑石,硬玉,まれに骨角などでつくられ,晩期まで用いられる。石製の丸玉を耳飾に用いたものもある。
土製耳飾は中期に始まり,小型の臼形のものがみられ,時代とともに大型となって滑車形を呈するようになる。滑車形には環状のものと断面板状のものなど多くの変化がみられるが,上面に文様を刻したもの,複雑な透し彫のものなどがあり,最大径9cmもの大型品まである。土偶の耳の表現から,耳朶に孔をあけてはめこむ耳飾と考えられ,中国の戦国時代末から漢代にかけて盛行した耳璫と同様の方式で,耳栓(じせん)とも呼ばれる。ほかに猿の橈骨でつくった管玉状の耳飾をつけた特殊な埋葬例が,和歌山,愛知,福島で知られており,呪術者のものと考えられている。弥生時代に耳飾を用いた例は,まったく知られていない。
古墳時代中期後半から,朝鮮半島から鎖で垂飾をたらした細い金環がもたらされ,6世紀後半には金めっきした銅の棒を環状に曲げ,一方に切れ目のあるものが全国的に用いられる。なかには中空の金製もあり,銀めっきしたもの,銅だけのものなどもある。埴輪の表現で男女共に用いたことがわかるが,男性が多い。女性の埴輪にはガラス小玉で環状にした耳飾を表現したものも多い。奈良時代以後,西洋の文物が伝わるまで耳飾は用いなくなる。
朝鮮半島の耳飾は,最も華麗な金製品が数多く出土するので有名であるが,新羅,百済,伽耶にそれぞれ特色がある。高句麗は遺例がほとんどみられないので,単純な環状のもの以外詳しくはわからない。新羅の耳飾は厚さ2~3cmもある太い中空の環に,短い鎖で3本ほどの垂飾をたらしたもので,太い環に金の小粒を焼付けた亀甲文その他の文様をつける華麗なものがあり,金冠の両側に固着したものも多い。百済のものは細手の金環に3条ほどの鎖垂飾をつけたもので,伽耶のそれも百済に似るが,鎖の長いものがつくられる。日本では,伽耶系のものが各地で出土している。この種の金製垂飾付耳飾は,中国東北地方にも分布しており,アジアの東北部一円に分布しているものとして考えなければならない。
→装身具
執筆者:坪井 清足
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…古墳は,内部構造が積石木槨墳と石槨墳に大別でき,若干の石室墳も存するが,石室墳形式のうち慶尚北道高霊古衙洞や慶尚北道栄州郡順興面台庄二里などの墳墓からは蓮華文やその他の草花文を描いた壁画が発見され,とくに,後者の石扉内面右側上画に〈乙卯年於宿知述干〉の陰刻銘があって6世紀ころの制作と推定されている。副葬品のうち,最も優れた工芸作品は,金冠,耳飾,首飾,銙帯(かたい),釧(くしろ),履(くつ)などの金製工芸品である。とりわけ,慶州の金冠塚,端鳳塚,天馬塚などから発見された金冠は,新羅の金冠に独自な木を図案化したといわれる〈出字形〉をもち,新羅美術がもつ北方系要素を示している。…
…広義の衣装に含まれ,一般には身体にまとう衣服以外のものをさす。首飾,耳飾,指輪,腕輪,ブローチ,アンクレット(足輪),髪飾などがあげられる。
【呪術と装身】
人間が装身具を身につける動機はさまざまであるが,地位・身分の表示と並んで最も強い動機は美的欲求の満足,美しく見せたいという装飾本能であろう。…
…古代中国神話の怪物雨師妾(うししよう)は〈左耳有青蛇,右耳有赤蛇〉(《海外東経》)というし,黄帝と争った夸父(こほ)族は皆,巨人で耳には2匹の黄蛇をぶらさげていた。 耳の美を補完するものとしての耳飾は,世界中至るところに見られる。エジプトのミイラ,古代マヤ族の彫像の耳の穴は,いずれも耳飾があったことを示しているし,前述したササン朝の諸帝王もみごとな耳飾を下げている。…
※「耳飾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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