野母浦(読み)のもうら

日本歴史地名大系 「野母浦」の解説

野母浦
のもうら

[現在地名]野母崎町野母

近世初頭よりみえる湊津。天正二〇年(一五九二)五月二九日、朝鮮半島に出陣する島津義久らの兵船はかば島に着き、六月二日に出船したが北風により「野母の湊」に寄港、野母に下りて在所や「蔵徳寺」を訪ねたりしている(「天正年中日々記」旧記雑録)。同月四日「野母之湊」を出て面高おもだか(現西海町)を経由、五日平戸に向かった(「島津義久譜」同書)。元和三年(一六一七)野母崎と称する島外に、マニラでスペイン人と戦ったオランダ軍船三隻がとどまっていたという(イギリス商館長日記)。寛文七年(一六六七)六月二三番唐船が野母で破損、曳船長崎湊に戻したが、助船の礼銀は四枚帆船九艘に対して銀二七匁、水主九〇人に銀二七〇匁などを含めて銀四三七匁余(唐通事会所日録)。同一〇年朝鮮半島に漂着したジャガタラ船の唐人六五人のうち二五人が捕らえられて明の北京に送還されるはずのところ、朝鮮より小船で出帆して「深堀領分之内ニて脇津」に漂着、長崎に入津した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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